GREEN WIND ASIA(GWA)の活動の原点となっているのは、カンボジア、アンコール遺跡群の北側に位置するアンコール・クラウ村に設立した子どもたちのためのフリースクール、やまなみ塾です。
この運営を担ったアンコールやまなみファンド(AYF)は、15年にわたり子どもたちが学び、遊び、未来へ踏み出す支援拠点となりました。2018年よりGWAに運営が引き継がれ、 現在もクラウ村の小学生たちとの交流拠点となっています。
本コラムでは、やまなみ塾の成り立ちから、これまでの支援、そしてこれからのやまなみ塾の活動について紹介していきます。
第1回 やまなみ塾ができるまで
まとめ/石井由佳
写真/やまなみ塾校舎
GWA代表・中川武が初めてアンコールを訪れたのは1992年10月のこと。1994年からは日本国政府アンコール遺跡救済チーム(JSA)の団長として、アンコール遺跡の保存修復を行ってきました。同年8月に行われた第4次時調査では、日本からの専門家が15名、カンボジア王立芸術大学の研修生が3名、カンボジア人現地作業員が約50名の大所帯となりました。
当時のアンコール遺跡は、アンコール保存事務所(ACO、カンボジア政府文化芸術省管轄)により管理されており、当該職員であったサオ・サム氏とチン・ドイ氏をJSAへ派遣していただきました。
両氏ともに、ポル・ポト派戦争以前よりACOに勤めており、内戦終了後、荒れ果てて人が踏み入れることもできなくなった遺跡の整備などを自分たちだけでやってきた素晴らしい方々です。そんな彼らが中心となって現地作業員を集めてくれたので、両氏の居住していたアンコール・クラウ村の住人が中心に集まったわけです。
アンコール・クラウ村は、アンコール・トムの北西に隣接する村で、古くからアンコール遺跡と密接な関係を持ってきた伝統が蘇ったかのように、村人の参加者には熱意がありました。また、家族、親戚、近所の人々が多く、自然な親しみの中でともに汗をかく仕事は楽しく、すぐに日本人専門家と村人との間に、現場で宴会をしたり、村での結婚式に呼ばれたたりといった、様々な交流が生まれました。この交流の中で、道や橋、集会所など、村づくりに協力・支援するつきあいが続いてきました。そんなクラウ村と日本人専門家の交流に尽力してくれたのが、チア・ノル氏でした。
遺跡保存修復のための技術は、親から子へと受け継がれる伝統技能であり、それは遺跡を大切にする想いで支えられています。その技術が、保存修復の第一線で働く人たちの孫の代まで継承されていけば、きっと本物の素晴らしい職人たちが育つでしょう。そのための人材育成を支援していくことが、アンコールの保存修復に関わる者として、果たすべき役割であると思います。
私たちの長いつきあいをしていきたいという願いを込めて、2006年には、GWAの前身であるアンコールやまなみファンド(AYF)は、NGO法人JST(アンコール人材育成支援機構)とともに、フリースクール「やまなみ塾」をこの地に開設しました。
私たちは、やまなみ塾開設にあたって、その目的を次のように定めています。
1)クラウ村やその周辺の子供たちが自由に集まり、さまざまなことを学ぶことができる場とする
①学校に行けないまたは行かない子供たちに基礎的な学習の機会と場を提供する
②国際的な町をめざして、英語の学習を広める
2)クラウ村の人々の交流の場
3)クラウ村及びその周辺の人々とAYF会員との交流の拠点とする
4)アンコール遺跡修復のためのワークショップの開催
やまなみ塾は、クラウ村のJST敷地内にコミュニティセンターの一部として整備されました。赤い屋根が特徴の木造平屋建ての校舎は、会員およびその他の支援者の皆さまの寄付により、260万円を費やして、2005年11月〜2006年4月の6ヶ月がかりで建設されました。現在はGWAが管理を行っており、維持費・修繕費の一部を負担しつつ、AYFの皆さまの会費を含めて運営しています。
地図/やまなみ塾校舎の配置図
アンコールの祖先たちは、高いヒマラヤの遥か向こうからこの地にやってきたと言われています。木立に囲まれたクラウ村からも青い空が見えます。その向こうに美しい山なみが見えるようになることを願った代表の中川やAYFの皆さんの考えを継承して、今日まで「やまなみ塾」の運営を行ってきました。
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