世界には多くの文化財がある。建造物のような有形のものから、祭りのような無形のものまで多岐にわたるそれらは、国によって異なる保存制度によって守られている。
本コラムでは、日本、世界各国の保存制度への理解は深めるべく、制度の成立の背景や運用の仕組みなどを横断的に取り上げ、共通点や差異について捉えたい。また、今後の保存制度の在り方についても考察を試みたい。
第1回 近代:日本の建造物保存制度の礎となる古社寺保存法成立背景について
文・写真/萩原安寿
どんなに優れた建造物であっても、それを守ろうとする意志がなければ、後世に残すことはできない。その建造物からなる景観も然りである。
その意志は、明治期の目まぐるしく変化した建造物を取り巻く社会状況と共に制度化した。明治30年に制定された古社寺保存法である。
建造物保存制度の1回目は、日本の保存制度の礎である古社寺保存法の成立背景について概説的となるが、取り上げたい。
古社寺保存法とは、社寺の建造物や宝物類の中から歴史の象徴または美術の模範となるものを「特別保護建造物」または「国宝」として指定した法である。文化財の保存修復に対する補助がされ、古社寺等の修理事業へ展開された。
古社寺保存法の制定の背景の一つには、京都の激しい荒廃があった。元治1年の蛤御門の変による火災「どんどん焼け」や、明治元年の廃仏毀釈、明治8 年新政府によって社寺領地を取り上げ学校や病院とする「社寺領上知」などにより、京都の大寺院は大きな被害を受けていたのである。このような状況から、初代京都市長となる内貴甚三郎をはじめとした市民たちが、「古社寺保存ニ関スル請願」「古社寺保存會組織ニ関スル請願」を国に提出したのである。このような運動を経て、明治30年1月に古社寺保存法が可決され、我が国最初の文化財保存に関する法律として、昭和4年の国宝保存法ができるまでの33年間施行された。
その後、内貴は京都市長就任中に、京都のまちづくりに着手し、「名区勝地ノ保存」を市役所の組織の役割に位置付けた。またその構想には、「東方は風致保存の必要あり」として、東山地域の風致の保存を強調している。
現在、京都には数多くの寺院や名勝地が残っているが、観光の中心地ともいえる東山地域は顕著であろう。それは安易に、京都に寺院が数多く残っていたから、今もなお残っているというわけでないのである。強い意志とそれによってできた制度があったからこそ、今日私たちは、その明媚な空間、景観を愉しむことができるのである。
他国には、どのような成立背景があり、保存制度が設立されているのだろうか。次稿では、海外に目を向けて論じたい。
写真/将軍塚青龍殿大舞台から見る北方面(金戒光明寺側)を見渡す
*主要参考文献
・萩原安寿「京都古社寺保存組織「保勝会」の研究」早稲田大学創造理工学研究科建築学専攻 平成30年度修士論文
・苅谷勇雅『日本の美術474 京都―古都の近代と景観保存』至文堂 2005.11.15
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