第1回
登録有形文化財 照田家住宅とは
文/萩原安寿
照田家を初めて訪れたのは、2年ほど前の底冷えのする寒い冬の日でした。
両国駅から南東に10分ほど歩き、長いブロック塀の途中にある門をくぐると、拭漆が施された玄関が右手に現れ、その凛とした美しさに身が引き締まりました。
GWAでは、2015年より、毎月2回この照田家のお掃除をして保全しています。照田家は、メリヤス産業を営む照田一二三氏によって戦後自邸として建築され、「造形の規範となっているもの」の評価基準を理由に、2008年より主屋部分が国の登録有形文化財(建造物)となっています。
本コラムでは、その歴史的な価値や秀でた造形の他、お掃除を通して感じた明媚な佇まいに注目して紹介してゆきたいと思います。
今回はその詳細の前に全体の概要を。
建築は大工棟梁・古橋正吉(しょうきち)氏が手がけており、照田氏が古橋氏の手がけた相撲の伊勢ノ海部屋の建築に惹かれ依頼したと言われています。玄関先には洋風の応接室があり、南側に木のぬくもりを感じさせる居間や茶ノ間、北側に台所や風呂、女中部屋があります。各部屋には窓などを中心に彫刻が施され、例えば玄関東面窓には富士と帆掛船、風呂西面窓に梅と鶯、離れ東面窓はコウモリ型の窓に柳と流水、さらに離れには珍しい銘木を駆使した自由な意匠等が見られます。二階の座敷の装飾は、格式とはまた違った木匠の技と趣向を凝らしたもので、西面円窓の翁と媼、松、竹、梅の意匠では実物の梅の枝を使う細部のこだわりが見られます。そのこだわりは便所の天井にまで及び、便所外の照明と合わせた扇の意匠が施されています。二階入側縁のガラス窓からは庭を一望することができます。
この南側に配される庭は、江戸城の御用庭園師を務めた家系である四代萩原平作によるものです。居間、茶ノ間、離れから一望することができ、夏は青々とした木々や花々が、冬は燈篭や南天に雪が積もり美しい情景となります。照田氏は晩年庭先をよく眺めていたそうです。天井や柱、桁などいたるところに拭漆が多用され、光沢を帯びています。木の種類と材質を生かした意匠を愉しむことができ、日本の木造住宅の豊かさや住むことの悦びが窺えます。
3年の歳月をかけて建築された照田家住宅は、照田氏の末代にまで残る住宅をという心意気によるものでした。そして60 年以上経った今もなお、その凛とした美しさが残っているのです。
次回は、各部屋の詳細な意匠に迫りたいと思います。お楽しみに!
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